メディアリテラシー⑤
― カナダのメディアリテラシー概念(2)―

(5)メディアはものの考え方(イデオロギー)と価値観を伝えている。

 メディア・リテラシーでは、メディア・テクスト(ドラマ)が含み持っているものの考え方や価値システムの意識化を行なう必要がある。メディア作品はある意味ですべて宣伝である―メディアが生産するもの自体を宣伝しているだけでなく、価値観、あるいは生き方を宣伝している。それらは一般に既存の社会システムを肯定している。たとえば、典型的なハリウッド製テレビドラマに含まれているイデオロギー・メッセージをとりあげてみよう。それは、北アメリカの人々の目には見えなくても、開発途上国の人々が見れば明白である。北アメリカの典型的なマスメディアが伝えているのは、「よい生活」とは何か、豊かさの役割、「消費主義」の利点、女性の望ましい役割、権威の容認、不問に付される愛国心、というような数多くのイデオロギー・メッセージである。私たちに必要なのは、これらのメッセージや価値システムを解読するテクニックである。教師はメディア・リテラシー・テクニックと価値教育の方法を用いることになろう。

(6)メディアは社会的・政治的意味を持つ。

 メディア・リテラシーの重要な側面の1つは、メディアが生み出す社会的効果および政治的効果の意識化である。(この2つの効果は明確には区別しがたく、互いに重なり合っている)。メディアの効果は、家族生活の質的変化、余暇時間の使い方の変化といった形であらわれるが、子どもはそのことに気づく必要がある。マスメディアは価値観や態度の形成に直接的に関与していなくても、それらを正当化し、強化する役割を果たしている。この役割を知れば、子どもの世界になぜメディア作品を消費する集団への帰属を強制するプレッシャーがあるのかも理解できる。若者はしばしばマスメディアを母体としてポピュラー・カルチャーや友人との関係を規定する。より広範な文脈でみると、メディアは今日、政治の世界や社会的変化と密接につながっている。テレビが主としてイメージに基づいて国家の指導者を選出する。同時にテレビは、私たちを市民権問題、アフリカの飢餓、あるいは国際テロなどに関与させてしまう。良かれ悪しかれ、私たちはみな、自国の関心事とグローバルな問題のいずれにも深く関与するようになっている。カナダの人々にとっては、アメリカのメディアによる支配が明らかに文化的な問題となっている。カナダ人としての明確なアイデンティティの確立は今後も困難な問題であり続けるが、メディア・リテラシーのプログラムでも、この問題を挑戦と受けとめて、真剣に取り組む必要がある。

(7)メディアの様式と内容は密接に関連している。

 子どもはこの関係を理解しなければならない。その意識化で基本となるのは、マーシャル・マクルーハン(Marshall McLuhan)によって理論化された概念、すなわち、メディアはそれぞれ独自の文法を持ち、それぞれのやり方で現実を分類する、ということである。したがって、メディアは同じ出来事を伝えても、それぞれ異なる印象を生み出し、そのメッセージも違ったものになる。

(8)メディアはそれぞれ独自の芸術様式を持っている。

 子どもは、メディア・テクストを解読し、理解するためのメディア・リテラシー技能だけでなく、各メディアの芸術様式を楽しむための技能を育成する機会も持たなければならない。人を楽しませる様式や効果はどのようにして創造されるのかを知ることで、私たちにとってのメディアの楽しさは強化される。スピーチや詩の心地よいリズムや小説で使われる文学的技法を私たちが楽しむのと同じように、私たちはメディアの芸術的技巧を理解すれば、メディア・テクストの鑑賞で楽しみを経験することができる。

 これらの概念のすべてが実際的で創造的な経験、または制作経験によって理解され、確認されたときに、子どもはそれらの技能と総体的な認識を自分が出会うどんなメディア作品にたいしても応用できるはずである。このプロセスによって、子どもは自分たちの文化とのあいだに一定のクリティカルな距離を置き、それを保つことができるようになる。こうして子どもは、自分たちの世界を支配するシンボル体系を解読し、記号化し、そして評価する能力を身につけたクリティカルな主体性を確立するのである。