ノーテレビデー①
― ノーテレビデー ―
日本でのテレビ放送が始まって今年でちょうど50年が経ち、地上波のアナログ放送からデジタル放送へ変わりつつあります。1962年、テレビの普及率は約8割に達し、今年40歳以下の人の大半は、生まれた時からテレビを見て育ったことになります。今や、物心つく前からテレビを見て育った人が人口の半分を占めたことになります。コンピューターが普及した今でこそ、「バーチャル世代」という言葉が使われるようになりましたが、その原型はテレビ世代です。人間の成長・発達に最も重要な幼児期に、テレビを見て育った世代と、そうでない世代では何が違うのかをもう1度見直す時期に来ていると思われます。
ある調査によれば、幼稚園児とテレビの関係について、1日30分テレビを見る子と1日3時間見る子を比較したところ、前者の語彙数が約6000なのに対し、後者の語彙数は半分の約3000だったと報告されています。テレビは視覚と聴覚に訴えて情報を伝達するメディアです。これだけみると言語能力が豊かになりそうに思いますが、そうならないのはなぜでしょうか。テレビの番組にはいろいろありますが、圧倒的に多いのは各種の娯楽番組です。そして、画像と音とどちらが中心かといえば画像です。動く絵というのが特徴で、音は画像を補う役割で、こま切れの語彙が多く含まれ、決まった表現しかできなくなっているのです。バラエティー番組などはその最たるものです。最近の若者たちの表現力の低下は、こういったことが影響していると思われます。表現ができない分、欲求不満がたまり、暴力的になるのだと考えられます。若者同士の会話なら問題ありませんが、それでは社会に通用しないのです。
30年ぐらい前、学校で盛んに言われたことは「マンガの見過ぎに気をつけましょう」ということでした。まもなく「テレビの見過ぎ…」になり、1982年以降は「テレビゲームのやり過ぎ…」になりました。多くの警告にもかかわらず、逆に、今ではすることが当たり前になっています。大人自身がとらわれて、自制できなくなり、子どもに躾ることができなくなったと考えられます。実際に、幼稚園や保育園で月に一回テレビを見ない「ノーテレビデー」に取り組んだら、子どもは平気なのに大人の方が我慢できなかったという調査結果があります。
1976年に「テレビに子守りをさせないで」を著した岩佐京子氏は、3歳児健診で言葉の発達の遅い子どもや自閉的で対人関係のうまくいかない子どもが、テレビを長時間見ていることを指摘し、テレビを子守り代わりにしないように警告し、「テレビなしデー」を提唱しました。これが日本における「ノーテレビデー」の初めではないかと思います。
一方、日本の子どもよりも、テレビを見る時間が少ないとの調査が出ている米国の子どもでさえも、高校を卒業するまでに、テレビの前で費やす時間を合計すると3年以上になり、テレビと子どもの深い関わり、特にテレビの暴力シーンが、凶悪な青少年犯罪に影響していることが指摘されました。また、米国小児科学会は1980年からメディアの影響から子どもたちを守るために、メディアへの関わり方について報告し続け、1999年には「メディア教育」というタイトルで、特に2歳以下の乳幼児にはテレビを見せないことなどを勧告しています。
この報告を受けて日本でも、北九州市の小児科医伊藤助雄氏が1982年~1996年の14年間にわたって乳幼児・学童のメディアに関する調査を行い、「ノーテレビデー」を提唱しました。さらに1999年に発足した「子どもとメディア研究会」が、2000年に1500世帯に行った月に1日の「ノーテレビデー」の取り組みの結果を「家族の会話が増え、スキンシップがとれた」と報告しています。